家族経営の酪農家 ゆとりある経営を実現

 

日本農業新聞の記事。

2004年、天塩町で酪農を始めた山下夫婦の酪農経営に共感。

農業の大規模化、効率化(ロボット化、IT化)、法人化などがメディアではよく目につくが、家族経営でもゆとりのある経営ができるということをもっと知ってもらいと感じだ。

大規模化には投資リスクや従業員、設備維持などの固定費リスクがある。

そういった大きな費用リスクを抑えながら、高い所得率を維持する経営方針はなるほどと思った。

大規模、小規模など経営方針を定めたからこそ、こういった経営ができたのだと思う。

 

酪農に新規参入、高い所得率実現

山下 雅博さん(北海道天塩町)

<経営メモ>

乳牛85頭(うち搾乳牛55頭)、放牧地を含む草地が77ヘクタール。山下さん夫婦で経営し、2人の娘は今は町外に暮らす。2019年の売り上げは5400万。2015年のぜんこく酪農青年女性酪農発表大会では、低コストでゆとりのある経営が評価され農水大臣賞を受賞した。同年の農林水産祭の内閣総理大臣賞にも輝いた。

 

北海道天塩町で酪農を経営する山下雅博さん(51)は2004年に道外から新規参入した。冷涼で夏場も涼しいという地域の特性に合った経営を展開。季節繁殖や集約放牧を取り入れ、労働時間の短縮と高い所得率を実現する。これまでの経緯や思いを踏まえ、今後の理想の酪農経営について聞いた。

―就農までの経緯を教えてください。
広大な北海道に憧れ道内の大学に進学した。卒業後は乳業メーカーに勤務し北海道の他、岡山県、大阪府で働いた。乳価交渉の他、酪農家への情報提供などを担った。酪農家と交流する中、経営の方向性を自ら決めることができる酪農経営に魅力を感じ、経営したいと思うようになった。

11年間働いた会社を退職。札幌市の農業担い手育成センターに相談し、道内の法人や個人の2か所の酪農経営体で1年ほど研修した。その後、経営継承を前提に天塩町の酪農家で約1年間学び、技術の習得と就農後のイメージを膨らませることができた。居抜きで住宅や牛舎を継承し経営主になった。

軍資金や「0円」。継承による借金を抱えてのスタートだったが、その年、台風被害で牛舎の屋根が飛び、修繕を余儀なくされるなど早速、困難に直面した。最も大変だな時期だったが、自分を奮い立たせて何とか乗り越えた。

―どのような経営を目指しましたか
サラリーマンを辞めて就農してももうからなければ意味がない。2人の子どもを育て、60歳くらいまでは仕事ができるような安定した経営にしたかった。時間的なゆとりもほしかったので、労働時間は少なく収益性の高い経営を目指した。

研修中、酪農に関する本を読みあさり、既に自らの酪農経営のスタイルは固めていた。柱は放牧と分娩時期を集中させる季節繁殖で省力経営を目指した。

つなぎ牛舎で5月上旬~10月中旬、昼夜放牧する。粗飼料自給率は、100%。飼料費を減らして、給餌作業の手間を小さくしコストと労力を省いた。放牧で青草をたくさん食べることで、牛の発情の具合も良くなる。自然に育ててあげることが大事だと思う。

牧草の品質も大事と考え、きめ細かく管理する。草地は長く使うと収量が低下するため、簡易更新を毎年1回は行い植生維持に努めている。放牧地では、牧区を分けて天候や牧草の成長に合わせ転牧させている。

経産牛は発情時期の5~7月に自然交配させる。育成牛は同時期に人工授精する。分娩時期はおおむね2~4月に集中させる。哺乳時期は2~4月、牧草の収穫が6~9月と作業のタイミングを分散できる。分娩隔離は385日、平均産次は3.2産だ。

放牧など取り入れることで搾乳や給餌、除ふんなどの牛舎の作業は、妻と2人で1日4~5時間で済んでいる。牧草管理の時間を入れてもゆとりのある経営ができていると考えている。空いた時間は夫婦それぞれの趣味などに充てている。

―所得率も45%と高い水準です。安定した経営ができている理由は何ですか?
投資を慎重に行ったことも大きい。うまくいったのは貧乏だったからだと思っている。お金がないから無駄な大きな投資は控えてきた。サラリーマン時代に身に付けたPDCAを意識し、当初の目標に対する現状の改善点も明確にできた。

放牧という飼養形態も天塩町の冷涼な気候に合っていた。近隣の酪農家らが面倒を見てくれたことも助かった。機械の故障などの時にも助けてもらえた。

日本農業新聞 2020-0525より