給油所から生まれた農協、漁協の協同組合連携

給油所から生まれた農協、漁協の協同組合連携

北見市常呂町の素晴らしい事例。

 

 

共同給油所は町の誇り JA・漁協が経営 半世紀 北海道北見市常呂町
日本農業新聞 2020年09月19日

地域が協力して町づくりをする発端となった常呂町農協漁協共同給油所。半世紀たった今も農家、漁師、住民にとって欠かせない存在だ(北海道北見市で)

北海道北見市常呂町のJAところと常呂漁協は、漁業と農業、暮らしのインフラである給油所を半世紀以上、共同で守り続けてきた。繁忙期の労力の支え合いや、ホタテ貝殻の肥料化など、給油所運営を契機に畑と海の垣根を越えたさまざまな地域づくりを進める。助け合いから生まれた給油所の存在は、小さな町の住民の誇りになっている。(尾原浩子)
地域に“潤滑油”注ぐ
オホーツク海に面し、国道沿いにある「常呂町農協漁協共同給油所」。農家や漁師、地域住民が続々と給油に訪れる。畑作農家の岡田均さん(65)が給油しながら「町民はみんな、漁協と農協が共同で運営する全国でも珍しい給油所だと知っている。小さな町の誇りなんだよ。給油所を契機に、この町の漁師と農家がいろんな所で連携しているんだ」と胸を張る。

同給油所の設立は1962年。民間の給油所の経営継続が難しくなったことから、漁協と農協が共同で運営することになったのが発端だ。農協も漁協も当時は貧しく、二つの協同組合が互いに助け合うことで、第1次産業と暮らしの源である給油所を守った。

同給油所の深尾雄希哲課長は「港で漁師の船へ、畑で農家の農機へ、給油所で住民の生活に欠かせない自動車へ──。地域に油を注ぐのが、この給油所の役割だ」と説明する。深尾課長の名刺には「ホクレン」と「ぎょれん」、それぞれのマークが印字され、同給油所にも二つのマークが並ぶ。

給油所の設立から58年。同町の人口は3600人で、人口減少が進む。同町出身の選手が2018年に平昌五輪女子カーリングで銅メダルを獲得するなど、全国的にカーリングで名をはせる。JAの小野寺俊幸会長(北海道中央会会長)は「常呂は漁協と農協が手を携えて地域の歴史を積み重ねてきた。その中にカーリングがある」と力を込める。
“本業”も手を携えて
給油所はJAと漁協が人員を出し合い、運営経費も利益も分け合う。農家と漁師でつくる委員会が運営してきた。「顔が見える付き合い」を重ねる中で、タマネギの収穫最盛期には漁師が畑で手伝い、ホタテガイの放流には農家が港に出向くようになった。

地域にとって、協同組合間の連携は日常だ。JAや漁協などでつくる常呂町産業振興公社もその一つ。ホタテ貝殻を加工した土壌改良材を製造・出荷する。海の資源を農地で生かす仕組みだ。小野寺会長は「助け合うことで互いの産業を守ってきた。給油所はその発端」と強調する。常呂漁協の高桑康文組合長も「地域からスーパーや金融機関が撤退し過疎化が進む中、漁協と農協の給油所は地域のとりで。いつもJAは身近な存在だよ」と話す。

地域のイベントや災害の支援などあらゆる場面で両協同組合はいつも協力してきた。JAの川上和則組合長は「漁協も農協も、地域のためにという協同組合として共通の原点があるから、協同組合連携がこの町では当たり前だ。給油所から生まれた協同組合連携は、全国でも他にない、常呂町が誇れる海と山のつながりだ」と笑顔で話している。